デジタル殴り書き

タイトル通り、殴り書きします。
自分の思考メモというか。
なので、ワンクッション入れときますね。
あ、その前に。
なんで一ヶ月経ってないのに広告入ったんだろう(笑)
てかもしかして、「一か月経過したら」じゃなくて「一ヶ月目に」なのかな。システム的に。
(前回更新12/30、本日1/29で広告確認)
まあいいか。


「主観」と「客観」について。
主観:「自分」が主体となり、物事を「どのように」感じるか。
客観:広く一般的に用いられる、物事に対する見方?
「客観的な視点」として語る場合において、「~と思う」「~と感じる」はあってはならない、と思っているんだが。
まあそれは置いといて。
「好き」「嫌い」「熱い」「冷たい」「暑い」「寒い」「嬉しい」「悲しい」
これ全部「主観」だよね?
自分は、 人によって感じ方が違うもの=主観 だと思ってるんだけど。
で、「おいしい」も主観だと思ってる。
ある食べ物を食べて、「美味しい」と感じるか「まずい」と感じるかは人によるから。
人によって、感じるおいしさの度合いが変わるから。
でも、「おいしさ」は食べ物そのものに元々備わっているものだ、っていう意見を聞いた。
それをおいしいと感じられないのは、食べる側の方に問題があるというかなんというか、そんな感じの意見。
(反論に夢中になっててあんまり覚えてない)
納得できなかった。
ケンカした。
が、今になって冷静になって考えると、「コミュニケーション」として間違ってた。
自分が学んだところによれば、「コミュニケーション=引き起こされた反応」である。
そしてコミュニケーションを「望む反応を引き出すための行動」とした時、今回の自分のコミュニケーションは間違っていたことになる。
望む反応は、相手の納得だったわけだから。
で、コミュニケーションに必要なこととは何か。
まずは、「相手を理解する→説得する」の流れ。
相手を理解せずに説得するのは、相手を思い通りにコントロールしようとすること。
今回、相手を理解しようとする気持ちが圧倒的に足りてなかった。
そして、コミュニケーションの大前提は「思いやり」。
「自分の正当性を証明するためだったり、優越感を感じるために相手を操ろうとしてもうまくいかない」
「大前提は相手の幸せを願うこと」
うむ、まったくもってなっとらんかった。
思いっきり「自分の正当性を証明」しようとしてた。自分が正しいと認めさせたがってた。
これじゃあ反発を招いて当然ですわ。
こうして書いていて気付いたんだが、
相手の言う「食べ物に備わっているおいしさ」とは、「味」と言い換えられないだろうか。
とすれば、受け手側の「味覚」に合致するかどうかの問題になる。
仮定として、
個々人が持っている「味覚」を鍵穴に、食べ物の「味」を鍵に例えてみるとどうだろう。
鍵が鍵穴にすっぽり入れば=味覚に合致すれば、おいしいと感じる。
逆に、鍵が鍵穴に入らなければ=味覚に合わなければ、まずいと感じる。
鍵がいろいろな形をしているように、食べ物の味もいろいろあって、鍵の大きさもきっとバラバラなんだと思う。
そして鍵穴の方も、大きさから中の構造から、それこそ千差万別いろいろあるんだと思う。
たぶん、自分の鍵穴はやたら大きい。
あんまり「まずい」と思うものに出会わないから。
一通りの鍵は、収まることは収まるんだと思う。(カッチリ入る訳じゃなくても)
いかん、話がそれた。
主観と客観、この理解は万人に共通するものだと思ってた。
でも違った。
広く浸透しているような言葉でも、人によって、どうやら多少理解の仕方が違う。
とすれば、いわゆる「一般論」が通じない人もいるんだろう。
共通の認識で話ができていると思っていても、実は特定の分野に関しては、全然違う認識だったりするのかも。
今回非常にめんどくさい議論になったし、めんどくさい結果(ケンカした)になったが、そのおかげでこんな妙なことを考えるきっかけになった。
そして、コミュニケーションの奥深さを体感する羽目になった。
いい機会だった。
しかし結局「おいしい」は主観なのか客観なのか。
そういや「客観じゃなければ主観」なのか?
あるいは「主観じゃなければ客観」なのか?
(まあそれ以外聞いたことないからどっちかなんだろうけど)
自分は主観だと思うんだけどなあ。
あと、これ系の議論に関して、「大多数はこういう意見」っていう反論。
これ、意味ないなーと思った。
だって議論してるのは二人で、その二人の意見が対立してて、つまり一対一で。
そこには多数派も何もない訳で。
もちろん「参考意見」としては有効だけどね。
※思いついたらまた何か追記するかも

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